名君 伊達宗高公

名君 伊達宗高公 伊達宗高は、仙台藩主伊達政宗公の七男として、仙台青葉城で生まれ、慶長十八年(1613)に七歳で、柴田刈田両郡三万石を領する村田城主となりました。
 元和九年(1623)に蔵王の刈田岳が噴火し、翌年になっても止まず、郷土に大きな被害をもたらしました。そこで政宗公の命を受けた宗高公は、刈田岳に登り天に命願し、噴火を鎮めました。この崇高な行いは領民の心を打ち、敬慕されるようになりました。
 寛永三年(1626)、官位(従五位下右衛門太夫)を授かるため、政宗公とともに京都へ上った宗高公は、当時流行っていた天然痘にかかり、二十歳の若さで永眠しました。遺骸は家臣たちに守られて村田に帰り、九月に葬儀が行われ、龍島院に葬られました。
 宗高公の墓前には福地右近家老他9名の殉死者の墓があり、蔵王刈田岳山頂には「伊達宗高公命願の碑」が建立されています。